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  • 執筆者の写真前田智宏

南方熊楠に学ぶ

の知識の分野は並外れていました。


彼の学問は、現在では解体されてしまった「博物学」に分類されることも多いようですが、基本的には粘菌、あるいは植物の分野だと言われています。


しかし民俗学などにも造詣が深く、また孫文とも交流があったことからも彼の関心事の広さがうかがい知れます。

また、マスターした言語は9ヶ国語、12ヶ国語、あるいは19ヶ国語とも言われています。


南方熊楠は、なぜこれほどの知識を溜め込んでいったのか?


南方熊楠自身は「何かに打ち込むことで、自分が狂いそうになるのを防いでいるのだ。」と述べていたようです。

確かに数々の奇行や逸話も残っており、普通に暮らすのは難しかったでしょう。幽霊とも話ができたようですし。(現代なら、何か病名がつくかもしれませんね)


それはともかくとして、その知識分野と量の膨大さは、まさにユニバーサル(一切智)です。まるでGoogleのように、世の中すべてを脳に入れようとしていたかのようです。


彼が特別な脳を持っていたことは想像できますが、その前に少しでも関心を持ったら、とことん突き詰める性格が特別な才能を開花させたように感じます。


彼の生きた時代(1867年 - 1941年)は、現在のようにインターネットですぐに解が分かる時代ではありません。大英博物館や図書館に通い、あらゆる方面から彼は知識を得て彼は自身の脳の中で立体的に結びつけていきました。


その原動力は知りたいという気持ちの強さです。

知りたいと思った瞬間から、私たちの脳は情報を集め始めます


アロマってどんなの?

ヨガって、どんな効果があるの?

ビジネスって、常勝の法則があるのかな?

アトピーって、どうすれば軽くなるのかな?


さまざまな関心事があると思いますが、誰しも一つではないと思います。関心が向いたら、少しネットで調べてみる。本を買ってみる。テレビ番組で特集をしていたら、見る。


さまざまな分野の知識や経験が脳の中で結びつき、総合的に自分の世界観が出来ていくのでしょう。


南方熊楠も、最終的(?)には「南方曼荼羅」と言われる概念図を描きました。多くの経験や知識は、極端に略して言えば「刺激」です。

それを数多く入れていくことで、自分の世界が出来上がり、他人からも存在を認められ、人格として世の中に存在するようになるのでしょう。

個人的には、「自分探し」=「自分作り」 だと思っています。私は大学で教育学を専攻していましたが、人格や能力の半分は遺伝、半分は後天的なものと感じています。しかし幸いなことに、後天的な能力は、無制限に大きくなっていくのです。


「私はこのままでいい」

という気持ちも理解しています。人格を変える努力は必要ありません。しかし、後天的に伸ばすことが出来る部分は、伸ばしたほうが生きやすい。生まれたままの自分ができることを過信してはいけません


小さな自分でいるよりも、あらゆる方面に関心を持っているほうが自分への刺激も多く、必ず成長していきます。

ビジネスも同じ。その中で生きていくならば、大きな自分のほうが生きやすい。


激流を目の前にして呆然と立ちすくむよりも、飛び込んで泳ぎ回る力があったほうが面白い。


南方熊楠は若くして渡米する前に、明確に自分のビジョンを描いていました。ビジョンを描けば、脳が勝手に情報を取捨選択して集めてくれる

情報が入れば、ビジョン実現への道筋が見えてくる。大切なことは、何にでも関心をもつこと なのでしょう。そんなことを南方熊楠を好きな私は、日々感じています。



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